ホワットマンとハウマンのブログ

ホワットマンは新しい仕事を考案する人、ハウマンはその仕事を実行する人

言霊 老後、年金だけでは、2000万円不足する

言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされ…

菅原道真による遣唐使廃止による国風文化

遣唐使とは、日本が唐に派遣した使節である。寛平6年(894年)に56年ぶりに再開が計画されたが、遣唐大使の菅原道真の建議により休止され、907年に唐が滅び、そのまま消滅する形となった。 この遣唐使廃止によって、日本の新しいホワットマンとハウマンが国…

迫害されるホワットマン ウイニーの開発者 金子勇

winnyとは、東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇が開発した無料ソフトウェアです。 インターネットでつながったWinny同士でファイルの共有を行い、 自分の持っているファイルを皆に公開してダウンロードしてもらったり、自分が欲しいファイルを検…

厚生労働省の毎月勤労統計調査のハウマンは効率を考えていない

厚生省の統計不正が問題となっている。実質賃金の参考値を算出する方法がきまっており、担当者がその方法を守ってないため、計算値に誤差があると、もめている。 算出方法自体がめんどくさいため、担当者が手抜きをしたようだ。 都道府県の担当者から、統計…

郵政民営化のホワットマン 小泉純一郎は最強のハウマン

日本における郵政の民営化とは、日本政府が1990年代末から2000年代にかけておこなわれた郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)を民営化することを目的とした政策である 小泉純一郎が内閣総理大臣に就任すると、小泉内閣は郵政民営化を重要施策の一つとして…

令和時代への提言 ホワットマンの育成

外国から鉄砲や黒船がやって来ても、数年で同じものを作りあげるハウマンである職人が日本には多くいます。日本はハウマン大国です。 しかし、日本の政治、経済、文化、科学技術等が発展するためにはホワットマンが必要です。ホワットマンはハウマンが何をす…

東大名誉教授の話は面白い

平成31年度、上野千鶴子さんが東京大学の入学式で述べた女性差別についての祝辞が面白いと話題をよんでいます。 「ホワットマンとハウマン」の話も西村肇東大名誉教授からうかがいました。 「西村肇名誉教授は東大助手時代に恩師の矢木栄教授から「化学プ…

20世紀を最も騒がせたホワットマン カール・マルクスとソ連

カール・マルクスは「資本論」を著し、格差なき社会を訴え、共産主義のホワットマンとなった。それをロシアで実現するため、ロシア革命が起こり、ハウマンとしてのソ連邦ができた。 ソ連邦では国家主体(全員が国家公務員)のため、新たなホワットマンが現れ…

ユダヤ人はホワットマン

ユダヤ人は国を亡くし、他国を放浪し、他国で迷惑をかけず生活するために、既存の商売「パン屋、靴屋等」がやりづらかった。迷惑のかからない新しい仕事を始める必要があった。そのため人の嫌がる金貸しや新しいものを作る科学者、技術者などとなって他国で…

アヘン戦争のホワットマン魏源と明治維新

イギリスの商人が清国にアヘンを密輸し、清国でアヘン中毒患者があふれた。そこで、清国の大臣の林則除がこれを禁止没収したら、イギリスが激怒し、アヘン戦争(1840年~1842年)が起こった。最新鋭のイギリス艦隊に清軍は歯が立たず敗戦し、香港がイギリスに…

最強ハウマン項羽 VS 人気者ホワットマン劉邦

秦の始皇帝が亡くなり、秦帝国が衰退期に入ったとき、中国に二人の英雄が現れ、覇権を争うことになる。 楚の項羽は、鬼神のごとき武勇で秦帝国を滅ぼした。漢の劉邦は、軍事的才能はないが余人にはない人柄で優秀なハウマンを集め、漢帝国を興した。 劉邦の…

法治主義のホワットマン韓非子と秦帝国

韓非は中国の諸子百家が全盛のころ生まれた。韓非は性悪説を説く儒家の荀子に学んだといわれ、非道の行いを法によって抑えるべきと法治主義を主張し、ホワットマンとなった。韓非は、「君主の権力を法によって一元化し、体系化をすることにより強国となる」…

ホワットマンなき日本の野党

現在、政権与党の一強時代が続き、野党は与党のスキャンダルや大臣の失言さがしに躍起です。スキャンダル探しも重要ですが、それだけでは、政権交代はできません。政権交代にはちゃんとした政権構想、政策が必要です。政権構想をもったホワットマンが党首と…

花見文化のホワットマンは奈良時代の貴族

日本の花見は奈良時代の貴族の行事が起源だといわれる。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞され、平安時代に桜に代わってきた。それは歌にも表れており、『万葉集』には桜を詠んだ歌が43首、梅を詠んだ歌が110首程度みられる。これが10世紀初期の…

盆栽のホワットマン

盆栽は、中国で唐の時代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきて始まった。盆栽のホワットマンは唐人のようです。古くは、「盆山」、「鉢木」、「作りの松」などとも呼ばれた。鎌倉時代には武士階級の趣味として広く普及していた。江戸時代にな…

錦鯉を作ったホワットマン

意識して錦鯉を育てることは19世紀、日本の新潟県小千谷市と旧山古志村(現・長岡市)で始まったと一般的に考えられている。錦鯉を作ったホワットマンは新潟県の農民のようです。 2004年(平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として新潟県中…

バブル崩壊後のホワットマン

平成時代はホワットマンが減少し、それが原因でバブルが崩壊した。経済の停滞時期になった。 その一方、再びアメリカのホワットマンとハウマンが活躍した。インターネット、マイクロソフト社のウインドウズ、グーグルの検索サイト、アップル社のアイホン、フ…

ホワットマン田中角栄の日本列島改造論

日本列島改造論は、田中角栄が自由民主党総裁選挙を翌月に控えた1972年(昭和47年)6月11日に発表した政策綱領、およびそれを現した同名の著書。略して列島改造論ともいった。 『日本列島改造論』には、日本列島を高速道路・新幹線・本州四国連絡橋などの高…

新幹線のホワットマンは旧日本陸軍

1930年代に入ると、満州事変や日中戦争の激化などにより、日本から中国や満州国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。 このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた…

ウォークマンのホワットマン ソニー

ソニーは、音響機器から録音機能、スピーカー機能を取り除き、再生機能に特化し軽量化し、歩きながら音楽を楽しめるウォークマンを開発、販売を行った。 発売当初、ウォークマンは和製英語と揶揄されていたが、世界中に広まり、オーストラリアの最高裁判所で…

ビデオ戦争のホワットマンたち ベータマックス VS VHS

バブル期には、記憶媒体が現在のCD,HD、ブルーレイではなく磁気テープのビデオが各家庭に普及した。メーカーの記憶方式の規格として、ベータマックスとVHSが激しく販売競争を行った。 ベータマックス陣営 ソニー、東芝、三洋電機、NEC等 VHS陣営 …

プリクラのホワットマン アトラスのOL

ゲームメーカのアトラスのOL佐々木美穂さんが自分の写真でシールを作って遊んでいたら、楽しいと気が付き、プリント倶楽部(プリクラ)を商品化した。既存の技術の組み合わせでできる商品だが、アイデアが良く、全国の女子高生に支持され、日本全国のゲーム…

カラオケ機のホワットマン

カラオケが発明され、日本中のバーやスナック等の飲み屋に普及した。また、カラオケ専門店(カラオケボックス)が世界中に設立され、カラオケ文化、新しいレジャーが生まれ、みんな歌が上手になった。カラオケは音響メーカに寄与しただけでなく、サービス業に…

テレビゲームのホワットマン 任天堂

任天堂がファミリーコンピュータ(ファミコン)とゲームソフトを販売し爆発的なヒット商品となった。そして、ほとんどの日本の子ども達が所有するようになった。ファミコンは形を変え進化し、ソニーもゲーム機開発、販売を始めた。そして、次々と新しいゲーム…

チキンラーメンのホワットマン 安藤百福

チキンラーメンは1958年に日清食品創業者の安藤百副が発明しました。また百福は考案しただけでなく、製造会社を設立し、製造工場を作り、チキンラーメンを商品として流通させたハウマンでもある。 インスタートラーメンはその後、日本のみならず、他のアジア…

戦後復興と高度成長時代のホワットマンとバブル崩壊

終戦直後と高度成長時代の日本には多くのホワットマンとハウマンが現れ、景気は活性化していった。平成時代に入ると、景気が後退し、低成長期にはいる。この現象をバブル崩壊と言う。 では、なぜバブルが崩壊したのでしょう。それは、戦後復興、高度成長時代…

西洋文明のホワットマン ペリーの黒船来航と戦艦大和

嘉永6年(1853年)に、ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、通商開国を求め日本に来航し、日本中が大騒ぎとなった。江戸湾に停泊する黒船の大砲の射程距離が江戸城に届くことを知った江戸幕府は驚愕し、翌年に日米和親…

ホワットマン徳川家光のよる鎖国政策

ホワットマンの三代将軍徳川家光は島原の乱のあと、寛永18年(1641年)にはオランダ商館を出島に移転し、長崎を通じた貿易の管理・統制である鎖国体制を完成させた。 また、家光は、大名の改易や領地替え等を行い、参勤交代制度を作り、諸大名を掌握した。 幕…

ハウマン石田光成 VS ホワットマン徳川家康 @関が原

秀吉が死んだあと、その子秀頼は幼いため、徳川家康がホワットマンとなり政治を動かすようになってきた。秀吉の優秀なハウマンであった石田光成は打倒家康を掲げ、西軍を集め、東軍の家康と1600年に関ヶ原で対峙した。ハウマンがホワットマンに勝てるわけが…

ホワットマン織田信長のホワットを引継ぐ豊臣秀吉

天下布武後、自身の処遇が心配な羽柴秀吉は織田信長にしつこくその政策を尋ねたと思われる。(天下布武後に源義経のように捨てられたら困る) 織田信長はおそらく、羽柴秀吉と明智光秀は海外要因であると答えたのではないだろうか。 この時代、スペインとポ…