ホワットマンとハウマンのブログ

ホワットマンは新しい仕事を考案する人、ハウマンはその仕事を実行する人

西洋文明のホワットマン ペリーの黒船来航と戦艦大和

 嘉永6年(1853年)に、ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、通商開国を求め日本に来航し、日本中が大騒ぎとなった。江戸湾に停泊する黒船の大砲の射程距離が江戸城に届くことを知った江戸幕府は驚愕し、翌年に日米和親条約を締結し、日本は開国した。

 開国後、江戸幕府は倒れ、明治維新が始まった。日本人はひたすら西洋文明から学べ追い越せと、西洋文明のハウマンとなり突き進んだ。そして、黒船に対抗すべく史上最大最強の戦艦大和を建造した。しかし、太平洋戦争において、戦艦大和は米空軍の魚雷攻撃を浴び太平洋に沈められてしまうである。

 ここで日本人は西洋文明のハウマンだけではだめだときずかされるのである。

 二宮忠八は陸軍時代の1889年にライト兄弟に先駆け、飛行器を考案したホワットマンである。軍事用飛行器の開発を陸軍に申請したが、理解されず却下された。飛行機のような有用なものでも、最初はその有効性が理解できなかったようだ。明治時代は西洋から学べということで、ホワットマンは活躍できなかったのでしょうか。そのあと起こった日露戦争で、山と要塞で囲まれた旅順港の攻撃時、飛行機があれば、旅順港と旅順艦隊が空撮でき、旅順港の状態、軍艦の位置が把握できるのに。のちに二宮忠八の上官は自身の不明を恥じ、詫びたようだ。