ホワットマンとハウマンのブログ

ホワットマンは新しい仕事を考案する人、ハウマンはその仕事を実行する人

法治主義のホワットマン韓非子と秦帝国

 韓非は中国の諸子百家が全盛のころ生まれた。韓非は性悪説を説く儒家荀子に学んだといわれ、非道の行いを法によって抑えるべきと法治主義を主張し、ホワットマンとなった。韓非は、「君主の権力を法によって一元化し、体系化をすることにより強国となる」と唱えた。また、君主は部下が言ったことと実行したことが一致するかを確認し、一致する部下を評価しろと説いた(言動一致)。部下が「作業は三日でできる」と言って三日でできたら評価し、四日や二日でできても評価するなと説いた。現代のビジネスマンにも通じるものがありますね。

 韓非の思想は出身国の韓国ではなく、敵対する秦国によって高く評価され、取り入れられた。秦王は中国を統一し、秦の始皇帝を名乗り、部下の一族などに領地を与え世襲していく封建制度を改め、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への転換を行い、中央集権制度を確立した。

 始皇帝からの信頼を得たが、その才能を恐れた始皇帝の重鎮李斯の謀略にかかり死にいたった。

始皇帝が生きている時は順調な秦帝国であったが、行幸中に病死すると、重鎮の趙高は宰相の李斯を巻き込んで、始皇帝の遺言を書き変えて凡庸な末っ子の胡亥を測位させた。趙高は胡亥を丸めこみ、バカ殿に祭り上げ、皇帝の仲介者となり、秦帝国の実権をにぎることになる。ここから、私利私欲まみれのハウマン趙高の恐怖政治が始まる。李斯をはじめ反対者を落としいれ、刑死させた。またアホの語源になったといわれる阿房宮を増築し、帝国の人民を疲弊させた。

 ある時、趙高は皇帝の前に鹿を連れて行き、「馬を献上します」と言いました。当然皇帝は「鹿ではないか」といいます。そこで超高は「これは馬か鹿か」と群臣に問いかけました。へつらって馬だというもの、反抗して鹿だというものに分かれたが、後に趙高は反抗した者たちを根こそぎ処刑したそうな。この故事が馬鹿の語源となったよう

だ。

 韓非子の裏をかいた超高が原因で秦帝国は10数年で滅亡することとなる。