2019-04-23 本能寺の変! 明智光秀に対抗できないハウマン丹羽長秀 日本史のホワットマンとハウマン 種子島から織田信長時代 本能寺の変が起こったとき、織田軍団の柴田勝家は越後の上杉氏と対峙し、羽柴秀吉は備中で毛利氏と対峙していた。滝川一益は関東の北条氏と退治していた。徳川家康は信長の招待により、少人数で堺にいたが、本能寺の変を聞き、命からがら浜松に逃げ帰った。大阪では四国の長宗我部氏を討つため、丹羽長秀と織田信長の三男の織田信孝の軍団が渡航の準備中であった。明智光秀に対抗するのに一番地理的に優位であったハウマンの長秀だったが、ホワットマンになれず、彼の軍団はまとまらず、四散して、守勢となった。