ホワットマン織田信長のホワットを引継ぐ豊臣秀吉
天下布武後、自身の処遇が心配な羽柴秀吉は織田信長にしつこくその政策を尋ねたと思われる。(天下布武後に源義経のように捨てられたら困る)
織田信長はおそらく、羽柴秀吉と明智光秀は海外要因であると答えたのではないだろうか。
この時代、スペインとポルトガルが世界の覇権を握っており、スペインはフィリッピンを植民地化し、そこをアジアの拠点として、他のアジア諸国に進出することが危惧されていた。スペインが軍事大国の日本をいきなり襲ってくることは無いだろうが、スペインが明国に進出すれば、日本はスペインに包囲されることとなる。
この後、1588年7月から8月のアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊はイギリス艦隊に破れ、世界の覇権はスペインからイギリスへ移ることになるのだが。
また、拠点を安土から海外交流ができる大阪へ移す政策も聞いていたのではないだろうか。
城下町の造成が得意な徳川軍団は、江戸の地の開発のため、江戸へ領地替えをする政策も聞いていたのではないでしょうか。
豊臣秀吉は織田信長の政策(ホワット)をすなおに引継ぎ、実行したのではないだろうか。