カラオケ機のホワットマン
カラオケが発明され、日本中のバーやスナック等の飲み屋に普及した。また、カラオケ専門店(カラオケボックス)が世界中に設立され、カラオケ文化、新しいレジャーが生まれ、みんな歌が上手になった。カラオケは音響メーカに寄与しただけでなく、サービス業にも寄与した。カラオケを発明したというホワットマンは複数いるようだが、カラオケの発明者は特許申請を怠ったため、大富豪になりそこねたようだ。
テレビゲームのホワットマン 任天堂
任天堂がファミリーコンピュータ(ファミコン)とゲームソフトを販売し爆発的なヒット商品となった。そして、ほとんどの日本の子ども達が所有するようになった。ファミコンは形を変え進化し、ソニーもゲーム機開発、販売を始めた。そして、次々と新しいゲームソフトが開発され、広まった。またコナミ、セガ等のゲームソフト会社も発展し、ゲーム産業が隆盛を極めた。
ゲーム機は世界中に広まり、子供も大人も熱中し、ニューヨークの小学生が日本語のポケモンカードを所持し、日本語のカタカナが読めるという現象まで起こった。アメリカで軍事やビジネス用に開発されたコンピュータは、日本ではおもちゃになってしまった。
今日ではプロのゲーマーまで現れるようになった。
西洋文明のホワットマン ペリーの黒船来航と戦艦大和
嘉永6年(1853年)に、ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、通商開国を求め日本に来航し、日本中が大騒ぎとなった。江戸湾に停泊する黒船の大砲の射程距離が江戸城に届くことを知った江戸幕府は驚愕し、翌年に日米和親条約を締結し、日本は開国した。
開国後、江戸幕府は倒れ、明治維新が始まった。日本人はひたすら西洋文明から学べ追い越せと、西洋文明のハウマンとなり突き進んだ。そして、黒船に対抗すべく史上最大最強の戦艦大和を建造した。しかし、太平洋戦争において、戦艦大和は米空軍の魚雷攻撃を浴び太平洋に沈められてしまうである。
ここで日本人は西洋文明のハウマンだけではだめだときずかされるのである。
二宮忠八は陸軍時代の1889年にライト兄弟に先駆け、飛行器を考案したホワットマンである。軍事用飛行器の開発を陸軍に申請したが、理解されず却下された。飛行機のような有用なものでも、最初はその有効性が理解できなかったようだ。明治時代は西洋から学べということで、ホワットマンは活躍できなかったのでしょうか。そのあと起こった日露戦争で、山と要塞で囲まれた旅順港の攻撃時、飛行機があれば、旅順港と旅順艦隊が空撮でき、旅順港の状態、軍艦の位置が把握できるのに。のちに二宮忠八の上官は自身の不明を恥じ、詫びたようだ。
ホワットマン徳川家光のよる鎖国政策
ホワットマンの三代将軍徳川家光は島原の乱のあと、寛永18年(1641年)にはオランダ商館を出島に移転し、長崎を通じた貿易の管理・統制である鎖国体制を完成させた。
また、家光は、大名の改易や領地替え等を行い、参勤交代制度を作り、諸大名を掌握した。
幕政における改革では、老中・若年寄・奉行・大目付の制を定め、現職将軍を最高権力者とする幕府機構を確立した。凡庸な将軍が現れても、諸藩の優秀な老中に権力を持たせ、幕府体制を維持する政策のようです。室町将軍の体たらくを再現しないためか?
徳川家光により、徳川幕府の体制が確立したといっても過言ではない。
軍事大国日本の鎖国宣言に対し、諸外国は何もクレームも出せず引き下がった。この体制は嘉永6年(1853年)のペリーの黒船来航までの210年続いた。この間、日本の軍事力は相対的に低下していったが、独自の日本文化が育まれた。