盆栽のホワットマン
盆栽は、中国で唐の時代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきて始まった。盆栽のホワットマンは唐人のようです。古くは、「盆山」、「鉢木」、「作りの松」などとも呼ばれた。鎌倉時代には武士階級の趣味として広く普及していた。江戸時代になると盆栽の栽培が盛んになり、盆栽や園芸は興隆する。明治時代以降も盆栽は粋な趣味であったが、培養管理・育成には水やりなどの手間や数年がかりの長い時間が必要なために、生活環境の推移によって次第に愛好者は時間的余裕のある熟年層が多くなった。そのため、戦後から1980年代ぐらいまでの間は、年寄り臭い趣味とされたこともあった。
サザエさんの父(波平さん)のように、昭和初期には、家の庭で盆栽を楽しむ老人をよく見かけましたが、近頃はホームセンターでしか見かけません。
日本の盆栽はヨーロッパでは1970年頃から「Bonsai」として根強い人気がある。盆栽は日本から盛んに輸出されるほか、ヨーロッパ産の木を盆栽に仕立てることも一般化している。
映画「ベストキッドカラ手」の日本人空手師匠が盆栽をたしなんでいるのを見て、盆栽を始めた外国人もいるようです。空手じゃなくて、そっちかい。
錦鯉を作ったホワットマン
意識して錦鯉を育てることは19世紀、日本の新潟県小千谷市と旧山古志村(現・長岡市)で始まったと一般的に考えられている。錦鯉を作ったホワットマンは新潟県の農民のようです。
2004年(平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として新潟県中越地震が発生した。その時の被災した山古志村の養鯉場のニュース映像を見た外国人が錦鯉に興味を持ったようです。
色鮮やかな美しい姿から「泳ぐ宝石」とも呼ばれる錦鯉。いまやヨーロッパや北米、アジア各国の富豪たちから求められ、中には高級車1台分ほどの値段で取引される錦鯉もいます。
錦鯉がいいのなら、フナを改良した金魚はだめなんでしょうか。大和郡山の人もがんばってください。
バブル崩壊後のホワットマン
平成時代はホワットマンが減少し、それが原因でバブルが崩壊した。経済の停滞時期になった。
その一方、再びアメリカのホワットマンとハウマンが活躍した。インターネット、マイクロソフト社のウインドウズ、グーグルの検索サイト、アップル社のアイホン、フェイスブック、ツイッター、アマゾンのネット通販等など。
しかしながら、歴史の長い日本には、江戸時代以前にもホワットマンとそれを継承していったハウマンが現れ、現在に引継がれている。外国人にはあまり知られていないようで、外国人による日本のホワットマン発掘が始まったようだ。そのため、外国人観光客は年々増加し、2019年に3119万人になっている。
日本には古墳時代以降のホワットマンとハウマンが残した多くの物や文化が引き継がれている。応神天皇、仁徳天皇が造った古墳、聖徳太子が建立した世界最古の木造建築の法隆寺、聖武天皇が建立した奈良の大仏、足利将軍が建立した金閣寺、銀閣寺、江戸時代の大名が建立した城郭がいまだに残っている。
新幹線のホワットマンは旧日本陸軍
1930年代に入ると、満州事変や日中戦争の激化などにより、日本から中国や満州国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。
このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。
これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435 mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200 km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。 この計画は翌1940年(昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。
すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。
最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、新幹線建設をスムーズにした。
1964年(昭和39年)10月1日に東京駅 - 新大阪駅間に開業した東海道新幹線に続き、新幹線は日本全国に広がった。2016年(平成28年)の時点で、フル規格7路線(合計2,765 km)とミニ新幹線2路線(合計276 km)が営業中で、2015年度(平成27年度)の年間利用者数は3億6000万人に上る。