ホワットマンとハウマンのブログ

ホワットマンは新しい仕事を考案する人、ハウマンはその仕事を実行する人

鉄砲伝来のホワットマン種子島時堯(たねがしま ときたか)

 1543年8月25日に種子島に一艘の船が漂着した、そこには鉄砲を所持したポルトガル人が乗っていた。接見した賢明な領主の種子島時堯(ホワットマン)は、初めて見る鉄砲の重要性と何をすべきかを理解し、大金を払い、鉄砲二丁を購入し、家臣に使い方と火薬の調合を学ばせた。

 このとき日本は、初めてヨーロッパ文明というホワットマンに遭遇することになる。

種子島時堯は鉄砲一丁は求めに応じ、紀州根来寺に送り、さらに残った1丁を複製するべく刀鍛冶(ハウマン)を集め新たに数十丁を作った。また、堺の職人が鉄砲の技術を得るために種子島へとやってきて、1、2年で殆どを学び取った。日本には優秀なハウマンである職人がたくさんいたようです。

 鉄砲は金になると思い、再びポルトガル人はやってきたが、日本製の鉄砲をみて、驚き、すごすご帰っていったようです。

 これから数10年後の日本は、世界の覇権国スペインをも凌駕する世界最大の鉄砲保有国となった。